自由論
個性はなぜ公共の財産なのか――独創する人、慣習、凡庸さの台頭
ミルにとって個性は私的な好みだけではない。独創的な生き方は古い実践を生かし、まだ見えない可能性を社会に示す。ただし天才支配の免許ではない。
独創性が人間社会の貴重な要素であることは誰も否定しないだろう。『自由論』第三章・幸福の一要素としての個性
直接の答え:個性は社会を単なる反復から救う
ミルは、変わった選択がすべて優れているとは言わない。唯一完全な生き方を誰も持っていないからこそ、独創的な人は新しい真理や実践を示し、受け継いだ習慣にも理由を問い直させる。その公共的価値は珍しさではなく停滞を防ぐ点にある。第三章に戻って読める。
慣習は証拠であって命令ではない
ミルは人生をゼロから発明せよとは言わない。慣習には蓄積された経験がある。しかし狭い状況から生まれ、自分には合わないこともある。成熟した選択とは、理由を理解して採用、修正、拒否することである。
独創しない人にも届く利益
少数の試みが新しい良い実践を生み、別の試みは既存の良い実践を機械化から救う。真似しなくても、異なる生き方は「別の配置も可能だ」という証拠になる。私的な試みが皆の選択肢を広げる。
天才支配の免許ではない
個性的な人を型に押し込めるなという主張は、他者を支配し批判を免れる権利ではない。試みは事実、権利、結果の検証を受ける。危害原理の本当の意味と合わせれば、同意のない重大な負担を他者に移すところで自由には限界がある。
普通の人にできる小さな実験
慣習だから続けていることを一つ選び、解決している問題、成り立つ条件、代案を書く。元に戻せる低リスクの変更を試し、結果を記録する。個性は奇抜さではなく、自分の選択に参加することから始まる。六つの古典の研究も比較に使える。