道徳経
「道は自然に法る」は「好きにしてよい」ではない――誰の自然なのか
第25章の自然は気ままさや天然表示ではなく、物事が条件に応じて自ずからそうなること。欲望を自然と偽らずに応じる方法を示す。
人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自ずから然るものに法る。『道徳経』第25章
直接の答え:自然は「自ずからそうであること」で、気ままさではない
第25章は人、地、天、道の順に法る関係を述べる。自然は道の外の神でも、森や川だけでもなく、外から命令されず自らの条件で展開するあり方である。瞬間の衝動は習慣、広告、恐怖、特権から生じうるため、自然と呼ぶだけでは正当にならない。
条件を観察して応じる
対象の速度、耐久力、反応を観察する。自分の介入が必要な配慮か、支配欲かを分ける。小さく戻せる行動を試し、反応で修正する。第25章に階層が示される。
害の放置は自然ではない
自然に従うことは病気、暴力、制度的害の放置ではない。治療、保護、改革も生命の条件に応じる行動になりうる。境界は無介入か否かでなく、対象の働きを尊重するかにある。研究一覧も参照できる。