バガヴァッド・ギーター
不行為も選択である――『ギーター』が結果からの逃避を退ける理由
撤退、沈黙、先延ばしも結果を配分する。3.8が退けるのは休息ではなく、不行為で責任を否認することだ。行為と不行為を比べる四段階を示す。
なすべき行為を行え。行為は無為より優れている。行為しなければ、身体を養うことさえできない。『バガヴァッド・ギーター』3.8
直接の答え――不行為も結果を変える
自動的に責任を免れるわけではない。撤退、沈黙、先延ばし、他人に決定を委ねることも、その後の展開を変え、負担や選択権を誰かへ移す。3.8が「行為は無為より優れている」と述べるのは、いつも忙しくせよという命令ではない。自分の手で目立つ行為をしなければ、結果と無関係になれるという幻想を崩している。
問うべきなのは「動いたか」だけではない。行為と不行為がそれぞれ誰に何を負わせるか、その選択を正直に認めているかである。
原典が退けるもの
第3章でアルジュナは、知が優れているなら、なぜ困難な行為へ入る必要があるのかと問う。3.4–8でクリシュナは、行為の結果への所有欲を手放すことと、行為そのものを拒むことを分ける。身体を保ち、他者の労働を受け取り、制度の中にとどまる時点で、人はすでに因果へ参加している。
だからといって、すべての命令に従うべきだとは証明されない。「何もしない」という名称だけでは道徳的な免責にならないのである。第3章の本文で文脈を確かめたい。
撤退が責任を隠す三つの形
第一は、結果を他人へ移すことだ。自分が決めないため、同僚、家族、より弱い立場の人が代わりに決める。第二は、沈黙によって現状を維持すること。中立に見えて、既存の力関係をそのまま働かせる。第三は、署名や表舞台だけを避けながら、結果の利益は受け取り続けることだ。
これを見分ける目的は、休息に罪悪感を加えることではない。目立たない不作為でも責任が消えないと知るためである。
行動するかを決める四段階
行動した場合としなかった場合について、一週間後と三か月後の結果を書く。影響を受ける人、とりわけ決定に参加できない人を挙げる。立場を伝える、証拠を足す、支援を求める、見直す日時を決めるなど、可逆的で小さな一歩を探す。最後に、自分が引き受ける代価を明記する。
情報が本当に足りないなら待ってよい。ただし、何が不足し、いつ見直すかを決める。期限のない先延ばしを慎重さと呼んではならない。研究一覧では、六つの古典が行為と責任をどう捉えるか比較できる。
境界――拒否、休息、危険から離れることも責任ある行為になる
不正な命令を拒む、暴力の場から離れる、病気で休む、無益な計画を止める。これらは必ずしも逃避ではない。生命を守り、判断力を回復し、害を終わらせるために必要な行為となりうる。違いは、結果を認め、巻き込まれる人を守ろうとし、「退く」ことを選択として引き受けるかどうかにある。
3.8は、絶えず何かをせよとは言わない。因果の外に立てない以上、引き受けられる行為を選べと促している。