バガヴァッド・ギーター
宇宙的形相はなぜ恐ろしいのか――第11章は「壮麗な顕現」だけではない
宇宙的形相はなぜ恐ろしいのか――第11章は「壮麗な顕現」だけではない
多くの口と眼、腕、腿、足、腹、恐ろしい牙を備えた巨大な形相を見て、諸世界も私も震える。『バガヴァッド・ギーター』第11章23節
先に答える――創造と吞み込みが同時に現れる
第11章は視野を広げるが、快適な全景を与えない。無数の顔と身体に加え、戦士が恐ろしい口へ入る。11.23節は世界とアルジュナが震えると言い、11.32節は時間と破壊を語る。壮麗さから恐怖を切り離せない。
恐怖は信仰不足ではない
11.23節でアルジュナは身体と方向感覚の崩れを正直に語り、平静を演じない。後に親しめる形への回復を願う。有限な者が耐えられる関係を求めることを本文は許す。
宇宙が自分のためにある幻想を壊す
個人の行為は、所有できない歴史、死、時間へ入る。当代的には、自分の行為、制度的結果、制御不能な結果を同時に見る訓練になる。ただし災厄を「宇宙の計画」で免責しない。
奇観だけで読まない
魅力的・恐ろしい像を分け、要請、目撃、驚怖、懇願という変化を追う。恐怖が何の価値と依存を示すか問う。第一章の道徳的崩壊とは異なり、ここでは尺度と破壊への直面が恐怖を生む。
境界――暴力の免罪符にしない
時間と既に殺された者の宣告は戦争物語内にある。現代暴力を正当化し、被害者を必要な犠牲と呼ぶために使えない。宇宙尺度も個人責任、悲嘆、戦争正当性の問いを消さない。