自由論

危害原理は誰に適用されるのか――成人、子ども、意思決定能力の境界

ミルは危害原理を能力の成熟した人に限定し、子どもやケアを必要とする人の保護を認める。ただし植民地主義時代の例外は、集団を恣意的に無能力と呼ぶ許可ではない。

この学説は、諸能力の成熟した人間だけに適用される。『自由論』第一章・自由原理の適用対象

直接の答え:中心となる対象は、成熟した判断能力をもつ成人である

「本人のため」だけでは強制できないというミルの主張は、すべての人と状態への無条件な標語ではない。中心となるのは、理由を理解し、選び、討論を通じて修正できる人である。子どもやなおケアを必要とする人には、深刻な自己損傷からの保護も認められる。

第一章の原文は、成人の自律と子どもの保護が矛盾しない理由を示す。同時に、誰が他者を「能力不足」と判定するのかという危険な問いも生む。

年齢、能力、一時的な機能低下は同じではない

法定年齢は公開された基準になるが、全事例を決めない。幼い子、意識を失った患者、重い認知障害のある人、急性危機にある人では、情報理解と安定した選択の力が異なる。保護は特定の能力と決定に絞り、状態が変われば縮小すべきである。

成人の危険または少数派的な選択は、能力不足の証拠ではない。能力とは理解、比較、表明、選択の維持であり、多数派と同じ結論を出すことではない。

保護には範囲、証拠、再評価が要る

危険はどれほど重大で切迫するか、何の理解が欠けるか、時間、通訳、簡潔な情報、信頼できる支援者で本人の決定を回復できるかを問う。措置は必要部分だけを覆い、再評価の時期または条件を定める。

代行決定は後の手段である。意思決定支援として、意思疎通の障壁を除き、可逆的選択肢を示し、本人の既知の価値を尊重するほうが自由を多く残す。

植民地主義時代の例外は批判的に読む必要がある

同じ段落は一部社会を「未成年」と呼び、改善を名目に専制を認める。これは十九世紀欧州の階層的・植民地主義的視点を反映する。同時に反面教師でもある。権力者は文化差、異論、不服従を無能力と呼び、支配を保護として装える。

集団の出自、発展段階、「文明度」で平等な地位を取り消してはならない。能力制限は個別的で、証拠があり、不服申立てと定期再評価が可能で、基本的権利に拘束されるべきである。

適用対象を確認するチェックリスト

成人か子どもかを確認し、人格全体でなく、この決定に必要な能力を評価する。支援後に再確認し、自己危険と他害を分ける。最少制限・最短期間の措置を選び、見直しと申立てを残す。能力ある成人なら危害原理が実際に述べることへ戻り、「本人のため」でなく他害を強制の門にする。