自由論

自由によって自由を永久に手放せるのか――ミルの奴隷契約の難問

自由の原理は、将来の選択を永久に消す契約の強制を要求しない。ミルの極端な例から、同意、離脱、約束、第三者への義務を分けて考える。

自由の原理は、自由でなくなる自由を要求できない。自由を譲渡することを許されるのは、自由ではない。『自由論』第五章・自由は将来の自由の放棄を要求しない

直接の答え:一度の選択で、その後のすべての選択条件を壊してはならない

ミルは共同事項を自発的な合意で決める自由を認め、約束は一般に守るべきだとする。しかし自分を永久に奴隷として売る契約は異なる。一度の同意で、後の撤回、判断、行動の能力をすべて消すからだ。それを強制することは継続する自由の尊重ではなく、過去の選択による未来の人の支配になる。

第五章の原文を参照できる。

「本人が選んだ」だけでは足りない理由

自発的選択に干渉しないのは、通常、本人が利益をよく知り、経験に応じて進路を修正できるからである。永久奴隷制はその前提を取り除く。本人は離脱できず、新しい理解を行動へ変えられない。最初の同意が真実でも、強制服従への永続的同意にはならない。

後悔がすべての約束を消すのではない。約束の強制が、自由を尊重する理由となる主体そのものを壊してはならないのである。

通常の契約と自由の譲渡は違う

融資、賃貸、雇用も将来の行動を制約するが、通常は期間、対象、救済、退出費用が限られ、当事者は広い法的人格を保つ。永久支配では人そのものが管理対象になる。負担が重いかだけでなく、再判断し離脱する実際の地位が残るかが重要だ。

期間、範囲、退出、権力差、違反時の救済が人格所有へ変わっていないかを調べる必要がある。

離脱は責任を消さない

約束は相手に合理的期待を生み、子どもなど第三者への義務も生みうるとミルは付け加える。人身関係を離れる自由は、債務、ケア、財産、移行責任を無視することではない。関係を永久に強制しなくても、そこから生じた結果を公平に処理できる。

「気が変わった」は万能の免責ではなく、「一度同意した」も無限支配の許可ではない。

現代への適用限界

奴隷契約は極端な思考実験で、購読、雇用、婚姻の争いすべてに機械的に貼る言葉ではない。退出は実際に可能か、違約負担が離脱禁止に等しくないか、一方が情報・資源・救済を支配していないか、第三者利益を狭い方法で守れないかを問う。危害原理の案内は必要性と比例性の検討に役立つ。