伝習録

「新民」から「親民」へ――王陽明は上から目線のリーダー像をどう正したか

一字をめぐる違いの背後には、二つの行動姿勢がある。人を改造されるのを待つ対象と見るのか、まずその境遇に入り、教育と暮らしを支える責任を負うのか。

「民に親しむ」といえば教え育てる意味を併せ持つが、「民を新たにする」といえば一方に偏ってしまう。『伝習録』上巻 · 第3則

なぜ陽明は旧本の「親民」を守ったのか

徐愛は『大学』後段の「作新民」を根拠に、なぜ「親民」を「新民」へ改めないのかと問う。陽明の答えは単なる文字遊びではない。「親」には近づくこと、慈しむこと、教え育てること、暮らしを安んじることが含まれるが、「新」では上からの変化だけが残りやすい。どちらも人の成長を気にかけるとしても、主語が異なる。新民はリーダーを「すでに完成した側」に立たせやすい。親民は、まず関係の中に入り、相手が実際に直面する制約を理解するよう求める。

組織で最もよく見られる「新民」の衝動

管理者が業務手順、価値観、研修を設計するとき、問題は実行する側にあると決めつけがちだ。理解が足りない、積極性がない、当事者意識に欠ける。そこで説明、評価、動機づけを増やす一方、目標同士が衝突していないか、情報が届いているか、費用を負う人が決定に参加したかはほとんど調べない。仕組みの問題を人の態度の問題として説明することは、現代の組織に潜む最も見えにくい上から目線である。親民の視点なら、まずこう問う。自分がこの役割にいたなら、いまの条件で求められた行動を取れるだろうか。

近づくことは迎合ではない

親民は、やさしく話すことや、すべての要望を受け入れることへ縮められない。本当に近づくことには、困難を明確に伝え、責任を分け、持続できない要求を断ることも含まれる。違いは、決定による影響を受ける人を抽象的な数字にしない点にある。理由を説明し、異議申し立てと意見の経路を用意し、現場の事実が戻れるようにする。リーダーは難しい決定を下せるが、他者に代価を負わせながら、大きな物語だけで相手が「全体を理解したか」を評価してはならない。

親民を一つの組織行動に変える

うまく定着していない制度を一つ選び、先に周知文を書かない。実際に使う三人に、その場で本物の仕事を一度終えてもらい、立ち止まった箇所、回り道、余分な負担を記録する。理解の問題と、権限、時間、目標の衝突による問題を分ける。修正後は、判断の根拠と未解決の制約を公開する。親民はリーダーの作風を示す標語ではない。結果を負う人が判断へ参加し、リーダーもそれによって現実に近づくための事実の循環である。