バガヴァッド・ギーター
行為・知識・放棄――『ギーター』が三つの道を互いに排除させない理由
行為・知識・放棄――『ギーター』が三つの道を互いに排除させない理由
放棄と行為のヨーガはいずれも最高善へ導く。しかし両者では、行為の放棄より行為のヨーガが優れている。『バガヴァッド・ギーター』第5章2節
先に答える――同じ束縛の異なる層を扱う
5.2節は放棄と行為のヨーガが最高善へ導くと認めつつ、通常は行為のヨーガを優先する。知識や放棄が不要なのではない。外的行為をやめても、結果や自己像への執着は残りうる。行為は現実の試験場、知識は主体・行為・結果の関係を識別する力、放棄は結果を所有しようとする要求を緩める働きである。
問いは本物の二者択一から始まる
アルジュナは5.1節で、放棄と行為のどちらが良いかを問う。5.2節は区別を消さず、実践上の優先を示す。5.4〜6節は知識と行為を絶対的な敵とみなす読みを批判する。成熟した一方の洞見は、他方にも現れる。
今必要なものを三問で探す
事実と識別が足りないのか、知っていて行わないのか。「手放す」と言いながら私益を離しているのか、責任から逃げているのか。結果を所有せずにこの行為を完了できるか。無知には学び、責任には行為し、制御の終わった結果には放棄を実践する。三者は互いを修正する。
失敗した仕事で組み合わせる
知識は運命論で済ませず事実を調べる。行為は修復可能な部分を直し、影響を受けた人へ説明する。放棄は結果を完全には制御できないこと、一度の失敗が自分の全体ではないことを受け入れる。どれか一つだけなら、焦燥、先延ばし、精神的な逃避へ傾きうる。
境界――行為のヨーガは無限労働ではない
行為が優れるという文は、あらゆる仕事を受け入れよという命令ではない。不正な命令の拒否や有害な役割から離れることも、適切な行為になりうる。不行為も選択である理由と合わせ、責任を保ちつつ「永遠に働け」という教訓へ縮めないことが必要である。